投稿者: Tyler Kern

  • 定住と放浪のあいだ

    定住と放浪のあいだ

    この十年ほど、僕は自分の人生には自然な流れがあると思っていた。僕は農家で、細かい部分は時々ぼんやりしていても、いつか自分の農場を持つことが理想的な行き着く先のように思えていた。

    そのために必要だと思う技術を、何年もかけて身につけてきた。野菜の栽培、灌漑、ビニールハウス、農機具、作付計画、有機認証、記録管理、販売、助成金申請。そして、小さな農場を実際に動かしていくために欠かせない、あまり華やかではない仕事の数々。

    ウェンデル・ベリーの『The Unsettling of America』に、何年も頭から離れない一節がある。

    “No farther. This is the place.”

    「もう先へは行かない。ここがその場所だ。」

    ※日本語は私訳

    僕はずっと、この考え方に強く惹かれてきた。いつまでも地平線の向こうを探し続けるのをやめ、一つの場所を選び、その土地を深く知り、責任を持ち、そこで人生を築いていく。

    そして今、僕はほとんど正反対のことをしている。

    日本、韓国、台湾の農場を移りながら数か月を過ごした今、自分の農場を持つことが本当に自分の望んでいることなのか、これまで以上に分からなくなっている。

    そこには、自分の中で少し葛藤がある。農業が嫌いになったわけではない。そもそも農業をやめてもいない。むしろ、これからも農業は自分の人生の大きな部分であってほしいという気持ちは、以前よりはっきりしている。

    ただ、農家であることが必ずしも一つの農場に根を張ることを意味するのか、その点には以前ほど確信が持てなくなった。

    WWOOFで知った、別の農業との関わり方

    WWOOFをしていて思いがけず楽しいと感じたことの一つは、新しい農場に入り、比較的早く役に立てるようになり、その農場がどう動いているのかを理解し、何かを貢献して、やがて次の場所へ移ることだった。

    もちろん、一つの土地と二十年かけて関係を築くこととはまったく違う。でも、こちらにも独自の魅力がある。

    この数か月、僕は馴染みのない作物や道具、気候、栽培システムの中で働いてきた。農家の家族と一緒に暮らし、似たような問題がまったく違う方法で解決されるのを見て、自分がすでに知っている技術を伝え、それまで出会ったことのなかった方法を学んできた。

    農業はいつの間にか、旅、文化交流、語学学習、そして日々の暮らしをつなぐ一本の糸のようなものになっている。

    役に立てるだけの経験がありながら、その農場についてはまだ何も知らない。その状態が僕は好きだ。

    新しい農場に着くと、どういう仕組みで動いているのかを理解することに自然と興味が湧いてくる。水はどこから来ているのか。何が生産の制約になっているのか。どの仕事に労力がかかりすぎているのか。何が何度も壊れるのか。この農家は何を大切にしているのか。何が特に上手なのか。

    ここで自分は何を学べるのか、どこで役に立てるのか。いつもそんなことを考えている。

    もしかすると、その好奇心そのものが、自分に合った農業との関わり方を教えてくれているのかもしれない。

    自分がどう役に立ちたいのかを考え直す

    僕は昔から、自分で決められることを大切にしてきた。自分の農場を持ちたいと思っていた理由の一つも、自分の仕事を自分でコントロールしたかったからだ。

    でも最近、自立して働くことと、農場全体を自分で経営することは必ずしも同じではないと思うようになった。僕が一番楽しんでいるのは、ある程度の経験と自由を持ちながら、意味のある問題を解決することらしい。

    それは、灌漑システムを設計し直したり、作業の流れを改善したりすることかもしれない。ビニールハウスを建てることかもしれないし、機械のトラブルを解決したり、新規就農者と一緒に栽培上の問題を考えたり、助成金申請を書いたり、誰かの時間を節約できる表計算やウェブサイトを作ったりすることかもしれない。

    外から見れば、これらはあまり関係のない仕事に見えるかもしれない。でも僕にとっては、どれも同じ仕事の違う形に思える。

    問題を理解して、農場がよりうまく機能するようにすることだ。

    以前は、コンサルティングや技術系の仕事は、農業を経済的に支えるための「別の仕事」だと考えていた。

    最近は、逆なのかもしれないと思い始めている。そういう仕事そのものが、僕なりに農業に関わる方法なのかもしれない。

    今の僕の経験は、農業、ソフトウェア開発、農業インフラ、有機認証、助成金、ウェブサイト、メンタリング、そして海外での農業経験が混ざり合ったものになっている。

    それらを全部合わせると、最近ますます面白いと感じる役割が見えてくる。

    「どの分野の仕事なのか、きれいに分類できない厄介な問題が起きたときに、農家が相談できる人」

    僕は、仕切ることよりも役に立つことのほうを大切にしているのだと思う。

    そして、一つの農場を所有するすべての責任を背負わなくても、いくつもの農場で意味のある問題を解決する手助けができるのなら、それを「本当の農業」よりも二次的なものだと考える必要があるのか、今はもう分からない。

    ベリーの言葉が難しくすること

    それでも、あの言葉を簡単に無視することはできない。

    “No farther. This is the place.”

    移動し続ける生活では、どうしても得られないものがあるからだ。

    新しい農場に着けば、僕は比較的早く状況を理解できる。でも、二十シーズンをその土地で過ごした人と同じように、その場所を知ることはできない。

    僕がその土を育ててきたわけではない。あの木がいつ植えられたのかを覚えているわけでもない。十年前にあの畑で何が起きたのかも知らない。

    今日よさそうに見える判断が、五年後にも本当によかったのか、自分の目で確かめられるとは限らない。

    農業は、同じ場所に留まる人にしか与えてくれないものがある。

    長くそこにいれば、雨のあとどこに水が溜まるのかが分かる。毎年どこから同じ雑草が出てくるのかが分かる。春にどの場所が最初に暖まるのかが分かる。そして、何年にもわたる管理によって土がどう変わってきたのかが分かる。

    やがて、その土地の歴史の中に自分自身の時間も積み重なっていく。

    そこに留まり続けなければ得られない知識の深さがある。そして、長く責任を持ち続けなければ得られないものもある。

    それは僕にとって大切だ。

    同時に、移動すること自体を、「次の丘の向こうにはもっといいものがある」と永遠に思い続ける生き方にもしたくない。

    次の国はいつでもある。次の農場もある。次の言語も、次の面白い人も、次の可能性もある。

    でも、何か一つを選ぶということは、いつか他の可能性を手放すということでもある。

    ベリーの言葉の中で、今でも僕をいい意味で悩ませるのはそこだ。

    今、自分がその正反対の生活を楽しんでいるからこそ、深く根を張ることの価値も見えてくる。

    それでも、まだ立ち止まる準備はできていない

    一方で、今の移動する生活から得ているものも好きだ。

    もっと正確に言えば、田舎の場所に一時的に暮らすことが好きだ。

    ただ通り過ぎるのではなく、日常のリズムができるくらい長く滞在するのが好きだ。人と一緒に働き、家族と食事をし、話を聞き、少しずつ言葉を覚え、気候や食文化、労働環境、文化によって農業がどう変わるのかを見るのが好きだ。

    観光客向けの旅行プランにはまず出てこない場所を教えてもらうことも好きだし、数週間前まではまったく知らなかった場所で、少しずつ役に立てるようになっていくことも好きだ。

    そして重要なのは、そのために農業を犠牲にしているわけではないということだ。

    むしろ農業があるからこそ、この生活の多くが可能になっている。

    これは、自分の将来についての考え方を大きく変えた。

    以前は、移動することと農業を続けることは互いに競合する願望だと思っていた。でもこの数か月で、必ずしもそうではないと分かってきた。

    自分の農場を持てば、根を張ることができる。

    今の生活では、農業を続けながら、違う土地、人、文化、農業の仕組みの間を移動することができる。

    今の僕は、まだその自由を手放して定住する準備ができていない。

    もしかすると、自分の人生には、季節ごとに違う種類の仕事の間を行き来する形があるのかもしれない。ある時期は農場で集中的に働き、しばらくコンサルティングや技術系の仕事をし、海外で過ごし、そしてまた別の場所で次の農繁期を迎える。

    数年前の僕なら、そんな生活は「方向性がない」と感じていたと思う。

    今はむしろ、一つの形としてまとまり始めているように感じる。

    自分の農場を諦めたわけではない

    これは、「もう自分の土地を持つことはない」と決めたという意味ではない。

    今でも時々、想像する。

    いい土のある小さな土地。効率よく働けるだけの設備。ハウス。作業場。そして、大規模な農場ではなくても、一、二エーカーほどの本格的な生産。

    今でも、一つの土地を深く知り、自分の判断の結果が何年もかけて積み重なっていくのを見る経験には惹かれている。

    変わったのは、それが農家としての自分の人生の必然的な行き着く先でなければならない、とは思わなくなったことだ。

    自分が「本物の農家」になったことを証明するために、自分の名前が土地の権利書に載っている必要はない。

    僕はすでに農家だ。

    もし将来、自分の農場を一つ持つ代わりに十軒の農家を手伝う人生になったとしても、それは同じくらい正当な農業との関わり方なのかもしれない。

    少なくとも僕にとっては、そのほうが面白い可能性すらある。

    夢の形が変わった

    長い間、自分の農場を持つことがゴールだと思っていた。

    今は、変わらず残るものは農業そのもので、その周りの形は変わってもいいのかもしれないと思い始めている。

    僕の人生には農業があってほしい。田舎のコミュニティとも関わっていたい。身体を使って働きたい。解決する価値のある問題に向き合いたい。

    自分が大切だと思う仕事を選べるだけの自由もほしいし、自分とは違うやり方で農業をしている人たちから、これからも学び続けたい。

    そして少なくとも今は、まだ動き続けられる自由もほしい。

    いつか、ある場所にたどり着いて、本当にこう思う日が来るのかもしれない。

    “No farther. This is the place.”

    「もう先へは行かない。ここがその場所だ。」

    ただ、僕はまだそこにはたどり着いていない。